シダの連想
里山のふもとなどでシダの群生を見かけると、いつもなんとなく、
哲学者のルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインを連想します。
彼の著作が僕にきちんと理解できてるとは到底思えないので、
おそらくは彼のポートレイトの、あのギリギリまで彫り込んだような
イメージから、なのでしょう。
彼の死の二日まえの絶筆(「確実性の問題」)は、「人間のいとなむ探究には、
根本原理とでも称すべきものがあるのではないか」ということばで始まり、
「彼の夢が雨の音と現実に結びついているとしても、事情は変わらない」という
ことばで結ばれています(星川啓慈「宗教者ウィトゲンシュタイン」より)。
それがいったいどういうことなのか、今の僕にはやはりよくわかりませんが、
それでもなにかが引っかかる。なにかがそこにある、と思えるのです。